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zoom RSS 高橋史朗教授の公開質問状

<<   作成日時 : 2006/06/21 21:51   >>

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 明星大学の高橋史朗教授が東京の男女平等参画審議委員のメンバーに抜擢されたことに対し、憂慮声明なるものが発表されました。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin420.htmlhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin429.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin430.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~constanze/nomarin431.html

なんせ、男女平等施策のこれ以上の後退は「許されない」とする、空恐ろしいもの。
さて、これに対し、高橋教授が公開質問状を出しています。

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平成18年6月15日
関係者各位殿
公開質問状―「新たな全体主義」を憂慮するー

 
 去る5月1日、私の名前が「東京都男女平等参画審議会」の名簿に記載されていることに抗議する「憂慮声明」が出され、5月22日に13団体、802名の賛同署名つきで東京都に提出された。
 「憂慮声明」は、次のように明記している。「高橋氏の男女平等に対する認識や、それに関わる発言、彼の名によって発表された文書などは、ことごとく東京都男女平等参画条例に反するものといわざるを得ません。そのような人物が『東京都男女平等参画審議会』委員として加わることは、今後の東京都の男女平等参画施策の行く末に、大きな問題を引き起こすのではないかと憂慮します。」 
 また、同声明に付せられた若桑みどり千葉大学名誉教授の署名入りの「高橋史朗氏東京都男女平等参画審議会委員就任を憂慮する理由」は、次のように結論づけている。  
 「このような人物が東京都の男女平等参画審議委員に就任したことは、東京都のみならずわれわれの社会全体における真の男女平等の実現を後退させるのみか、戦後にわれわれが築いてきた民主主義社会の否定者に公の席を与え、その崩壊を早めることとなりかねないと憂慮するのは文字を読む事の出来る人間ならば当然のことであろう。」
 審議会という「公の席」において、多様な意見、少数意見を尊重するのが「民主主義社会」なのではないか。それを否定することは「われわれが築いてきた民主主義社会」を自ら否定する自殺行為であり、少数者の人権を侵害する「新たなファシズム」と言わざるを得ない。このこと自体が重大な問題であると、逆に私は「憂慮」するが、まずこの点についての見解を伺いたい。
 東京都は平成16年8月に、以下の「『ジェンダー・フリー』という用語の使用に関する東京都教育委員会の見解」を明らかにしている。
 〈「ジェンダー・フリー」という用語は、男女共同参画社会基本法及び国の基本計画、東京都男女平等参画基本条例等においても使用しておらず、また、その意味や主張する内容は使用する人により様々であり、誤解や混乱が生じています。……こうした状況の中で、内閣府においても、本年4月、この用語を定義できないとした上で、地方公共団体が条例等を作成する場合にはあえて使用しない方が良いのではないかとの考え方を示しています。……また、一部には「男らしさ」や「女らしさ」をすべて否定するという意味で「ジェンダー・フリー」という用語が用いられることがあり、このことは、東京都教育委員会が目指す男女平等教育の考え方と明らかに異なるのであります。……こうしたことから、東京都教育委員会は、男女平等教育を推進する上で、今後は、「ジェンダー・フリー」という用語は使用しないこととします。〉
 都教委は同日に同見解を受けた都立学校長宛通知「『ジェンダー・フリー』にかかわる配慮事項について」を出し、「教科用図書で『ジェンダー・フリー』の用語を取り扱うに当たり、『東京都教育委員会の見解』を十分に踏まえ、適切に指導を行なうこと」と述べた上で、現場で混乱を招いていた男女混合名簿について、「『男らしさ』や『女らしさ』をすべて否定するような誤った考え方としての『ジェンダー・フリー』に基づく男女混合名簿を作成することがあってはならない」との見解を示した。 
 さらに平成18年2月14日、都教委は「『社会的性別』(ジェンダー)の視点の定義及び『ジェンダー・フリー』という用語について」と題する通知を出し、昨年12月27日に閣議決定された、以下の「男女共同参画基本計画(第二次)」の趣旨を徹底するよう求めている。
 〈「ジェンダー・フリー」という用語を使用して、性差を否定したり、男らしさ、女らしさや男女の区別をなくして人間の中性化を目指すこと、また、家族やひな祭等の伝統文化を否定することは、国民が求める男女共同参画社会とは異なる。例えば、児童生徒の発達段階を踏まえない行き過ぎた性教育、男女同室着替え、男女同室宿泊、男女混合騎馬戦等の事例は極めて非常識である。また、公共の施設におけるトイレの男女別色表示を同色にすることは、男女共同参画の趣旨から導き出されるものではない。〉 
 私の主張は、この閣議決定された男女共同参画基本計画(第二次)の「ジェンダー・フリー」に関する見解や都教委の通知に見られる見解と完全に一致しており、前文に「男女は、互いの違いを認めつつ」と明記した「東京都男女平等参画基本条例」にことごとく反すると断じる「憂慮声明」は不当な批判と言わざるをえない。私の見解のどこが同条例に反すると判断されたのか、具体的に伺いたい。
 次に、若桑みどり氏の「憂慮する理由」の中の「高橋史朗の論点」についてみてみたい。 第一の論点「第三の教育改革」については特に論評していないので、第二の論点「親学の提唱」について検討してみたい。「高橋史朗氏によれば」と前置きして、「女性と母性、厳しさと優しさは男女によって別個に分担されなければならない。『女性』『母性』の性別役割分担を守るべきである(『親学のすすめ――胎児、乳幼児期の心の教育』二〇〇四年・モラロジー研究所)。当然ながらただしい父親とは外で働く男であり、ただしい母親とは家にいて子育てをする女性である」と批判している。 
 私が監修し、親学会が編集した『親学のすすめ』には、どこにもこのような「ただしい父親」「ただしい母親」について記述していない。父親は外で働き、母親は専業主婦であるべきだと主張したこともない。いかなる性別役割分担の形式といえども、それが主体的選択に基づくものである限り否定されてはならないし、また、特定の性別役割分担を強制してはならないと考えているからである。 
 しかし、「しっかり抱いて、下に降ろして歩かせろ」という日本人の子育ての知恵を凝縮させた格言が示すように、子供が自立するためには、「しっかり抱く」という愛着と「下に降ろす」という分離のプロセスが必要不可欠であり、前者が母性的かかわり、後者が父性的かかわりといえる。母性の特徴は「慈愛」であり、太陽の暖かさであり、子供を無条件に受容する優しさといえる。父性の特徴は「義愛」であり、北風の厳しさに例えることができる。 
 父親は子供を産むことも、授乳することもできない。胎児期と乳幼児期は特に母親との身体的感覚的な接触と相互作用によって、子供の心が安定し、その後の発達の大きな基盤となる。一般に子供は母親から心の安定を、父親からは外部世界への好奇心と刺激を期待している。 
 数々の科学的実験によっても、父親と母親に対する子供の反応は初めから異なっていることが明らかにされている。例えば、母親が相手をしている時、子供は穏やかな反応をするのに対し、父親が相手をする時には、子供は強い好奇心を発揮して激しい反応を示す。 
 このことから親の側にも父と母とでは子供に対する態度に生得的な違いがあるだけではなく、子供の側にも父と母とでは子供に対する反応が異なるように生まれつき仕組まれている可能性が高いことがわかる。 
 父親には子供の心を活性化し、自立を促し、社会のルールなどを教えるという独自の役割がある。このような意味で、基本的には母性的かかわりを母親が担い、父性的かかわりを父親が担うのが、ヒトの進化の歴史から見ても自然であるといえる。もちろん、父子・母子家庭が増えている現状を考えると、一方の親が母性及び父性的かかわりの両方の役割を果たす必要もあり、父親と母親の「性別役割分担」を強制すべきではないが、子供にとっての父親と母親の特性も認識する必要がある。この点を踏まえた上で、どのように役割分担をするか夫婦で十分に話し合うべきである。 
 温かさや優しさは母親、厳しさは父親だけに求められるものではないから、「性別役割分担」を固定的にとらえることは問題である。時には父親が母性的かかわりを、母親が父性的かかわりをすることも求められる。従って、母性的かかわりは母親、父性的かかわりは父親でなければならないということはない。  
 このことは第三の論点の一つである「ジェンダー」をどうとらえるかという問題と直結している。私は「フェミニズム、ジェンダーを攻撃」していると認識しておられるようだが、そもそも生物学的性差と社会的文化的性差(ジェンダー)を明確に分けるという考え方自体が間違っているのである。 
 男女の脳には性差が歴然とあり、その生物学的性差に基づいて社会的文化的性差としての男女の特性である男らしさ、女らしさがあることは、脳科学の研究によって明らかになっているからである。必要があって社会的文化的に洗練されたジェンダーには積極的な意義や意味があり、それをすべて悪いものと見なし、マイナス面だけを強調する「偏見や固定概念」からの解放こそが求められている、と私は主張しているのである(『親学のすすめ』315頁)。 
 私は「フェミニズム」そのものを批判しているのではなく、最初に日本でフェミニズムの運動を起こした平塚らいてうは、『原始、女性は太陽であった』の「あとがき」に、「母性の仕事を、種族の未来にかかわる公的なものとして認め、社会が責任をもっていくということでなければ、女が完全に解放されたことにならないでしょう」「女性が、男との同等を焦るあまり、自分の性を否定してはいけません」と明記している。彼女は母性主義の立場を貫き、現在のフェミニズムは母性そのものを完全に否定している。私はこのような母性を否定するフェミニズムを批判しているのである。 北京で行なわれた世界女性会議でマザーテレサは、「私には、なぜ一部の人々が、女性と男性は、まったく同じだと主張し、男性と女性のすばらしい違いを否定するのかが理解できません」というメッセージを送っている。彼女の言う「男性と女性のすばらしい違い」を生かし合い補い合うことによって、男女共同参画社会基本法第一条にある「豊かで活力のある社会を実現」が可能になるのである。
 第一の論点である「「第三の教育改革」は、「否定による進歩」を目指した明治の近代化、戦後の民主化に代わって、「補完的進歩」を理念として「共創」社会の建設を目指すものであると私は主張しているが、男女の違いを生かし合い補い合って、共に新しい秩序を創っていく男女「共創」社会こそが「豊かで活力ある社会」なのではないか。私はこの男女共同参画社会基本法と「男女は、互いの違いを認めつつ」と明記した東京都男女平等参画社会基本条例の精神を「第三の教育改革」の視点から見直したいと思っている。その意味で私は「男女共同参画」「男女平等」そのものに反対しているのでは決してない。 
 個人尊重という西洋の伝統を社会制度の中に取り入れ、政治的、社会的権利としての「男女平等」「男女共同参画」の実現を目指す一方で、家庭を始めとした集団の中における生き方としては、男女の補完的な役割を重視した生き方を追求するという、日本と西洋の長所を補完的に組み合わせる「補完的文化」の創造を目指すのが、「第三の教育改革」の「補完的進歩」という考え方である。  
 社会的文化的性差(ジェンダー)の否定的側面だけを強調して、これを解消しようというマイナス思考が問題だと私は指摘しているにすぎない。人間以外の動物には生殖の作法や子育ての仕方がDNAの中に刷り込まれているわけで、人間は文化的社会的に教え、伝えていくことによって、生殖+子育ての知恵を確立してきた。人間は男性と女性の特性や違いを意識して、文化的に洗練しながらそれを育て上げてきた。その延長線上に「男らしさ」「女らしさ」といった美意識が生まれてきたのではないか。 
 男女の特性である「男らしさ」「女らしさ」は脳の性差に由来していると脳科学者は指摘している。脳画像の研究によると、女性は多くの作業をこなすのに、脳の最も進んだ部位である大脳皮質を使っているのに対し、男性は同じ作業をこなすのに、淡蒼球、扁桃体、海馬といった原始的な脳の部位を使う。 
 女の子の目は質感や色彩をとらえ、男の子の目は位置や動きをとらえる。また、声の聞こえ方、感情処理の仕方など、男の子と女の子では何もかもが違う。脳の構造が男女で異なるうえ、発達の速さや順序が違うため、大人より子供の方が性差は大きいのである(レナード・サックス著、谷川漣訳『男の子の脳、女の子の脳』草思社を参照)。 
 また、「高橋史朗氏は戦後の人権尊重、民主主義、個人主義に反対であり……『純潔教育』を提唱、〈結婚までの純潔、結婚後の貞節〉を説く。……リプロダクティブ・ライツ・ヘルスの権利をも否定する」と批判しているが、この批判も正確さを欠いている。 
 私が批判しているのは戦後の人権思想、民主主義、個人主義のはき違えであって、「個人尊重」「民主主義」という欧米の伝統に由来する男女平等の「人権」そのものに反対しているのではない。民主主義の本質は独裁の排除にあり、当事者の参加による多数決の決定というのは民主主義の一要素にすぎないにもかかわらず、この要素を民主主義の本質であると誤解したところに根本的な誤りがある。
 月刊誌『MOKU』の一昨年の11月号の連載論文「人権教育の潮流に変化の兆し」で明らかにしたように、私が批判しているのは「歪められた人権思想」であって、同年に開かれた日本PTA全国大会の人権教育分科会の基調講演や都教委主催の人権教育公開講座などで、真の人権教育とは何かについて話をさせていただき、全国同和教育研究協議会委員長とも対立することなく、「感性を育む人権基礎教育」という人権教育のパラダイム転換を図る必要があるとの結論を共有できた。 
 また、自らの考えとして純潔教育を提唱したり、結婚までの純潔や結婚後の貞節を説いたこともない。私が一貫して主張しているのは、単にモラルだけを強調する純潔教育でも発達段階を十分に考慮しない急進的性教育でもない人間教育としての「第三の性教育」である。それは性を罪悪視したりタブー視したりするのではなく、人間を幸せにするために存在するものとして肯定的にとらえ、積極的に生命の尊厳性に気づかせていく性教育である。そのことは拙著『間違いだらけの急進的性教育』(黎明書房)で何度も強調している。「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」については、母体の健康が大事だということについては国際的な合意がある。しかし、権利については国際的にも国内的にも合意がないというのが政府の見解である。 
 児童の権利条約では、「児童」を出生前後と定義している。出生前後ということは「胎児」は児童に含まれることになる。そうであるならば「胎児」には生まれる権利、生きる権利があることになる。その「胎児の生きる権利」と「女性の権利」をどう調整するかということが課題になっているのである。私は、この問題は女性の権利という観点のみで論じることはできないと主張しているのであり、この点、次のように国内的にも合意を得ている。 
 男女共同参画審議会のヒアリングで、法務省は「胎児もまた生命を持った者として保護する必要があり、その軽視は人命軽視につながるおそれがある」と答え、厚生省は、「特に中絶については、胎児の生命保護も一つの大きな法益ですし、一方で、親の選択の自由や健康という面も一つの大きな権利でして、二つの大きな権利が拮抗するときにどのように調整していくのかということになり、必ずしも一方のみから考えるわけにはいきません」と答えている。 
 なお、「統一教会ビデオに出演し、同集団の『純潔教育』を主張」「『日本青年協議会』設立者」「『日本教育協議会』初代事務局長」というのも事実に反する。私が主張している「第三の性教育」について説明してほしいということで、統一教会とは別会社のインタビューに応じたものが、私の許可なく不当に編集されたものであり、「同集団の『純潔教育』を主張」というのは、私がインタビューで答えた内容をねじ曲げることによって、私のイメージダウンを狙った極めて悪質な言いがかりである。この件については関係者(報道関係者を含む)に厳重抗議したことを申し添えておく。
 このように私の著書や論文の一言半句を全体の文脈から切り離して誇張したり、不当にねじ曲げて悪いイメージを作り上げ、正義のためにも叩かねばならないという見せ方をする。これでは大衆を扇動していったファッショと同じではないか。
 以上が「憂慮声明」と「高橋史朗氏、東京都男女平等審議会委員就任を憂慮する理由」に対する私の反論である。この反論に対する見解を伺いたい。なお、この公開質問状に対する解答は、7月5日までに下記宛てにファクスでお願いしたい。


高橋史朗                                             
送付先:明星大学 FAX ○○○-○○○-○○○○

  付 記

 東京都に問い合わせたところ、「東京都個人情報の保護に関する条例」で『本人の同意』なければ、実務機関は、保有個人情報を取り扱う事務の目的を超えた保有個人情報の当該実施機関内における利用および当該実施機関以外のものへの提供をしてはならない」(第十条)という規定があるため、802名の賛同署名者の名前は公表できないという。同条例の第17条の2(裁量的開示)には、「実施機関は、開示請求に係る保有個人情報に非公開情報が含まれている場合であっても、個人の権利利益を保護するため特に必要があると認めるときは、開示請求者に対し、当該保有個人情報を開示することができる」とあるが、802名の賛同署名者と直接コンタクトできない以上、賛同署名つき憂慮声明の提出先である東京都を通じて公開質問状を送付するしかないと判断し、本日、東京都の知事特別秘書と生活文化局の担当責任者に本公開質問状を手渡し、「東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会」を通して送付手続きをとっていただくようお願いし、快諾を得た。
 なお、「憂慮声明」の「呼びかけ人」の中に、埼玉県男女共同参画審議会委員の戒能民江・お茶の水女子大学教授と橋本ヒロ子・十文字学園女子大学教授が含まれていたので、現職の委員がこのような「呼びかけ人」となることの重大性に鑑み、このお二人には私から直接この公開質問状を送付したことを付記しておく。

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以下は、高橋教授の記者会見報告。

 6月15日、東京都知事特別秘書の兵藤茂氏、教育長の中村正彦氏、生活文化局総務部長の南雲栄一氏と面会して、「公開質問状」を手渡し、石原都知事にお渡ししていただくようお願いしてまいりました。
 私が「東京都男女平等参画審議会」委員になったことに対し、5月1日に「東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会」から「憂慮声明」が出され、5月22日に802名の賛同署名つきで東京都に提出されました。この賛同者名は名前を公表しないこと条件に集められました。異論があるなら正々堂々と名を名乗って議論を闘わすべきではないでしょうか。反対する以上、責任を伴うのは当然であるのに、一体なぜ自らの氏名を公表せず、匿名なのでしょうか。自らは暗闇の安全圏に身を潜めて、闇討ちするような卑怯なマネを黙って見過ごすわけにはいきません。
 今回の「憂慮声明」の背景には、上野千鶴子氏の国分寺市での人権講座中止事件(本人に講師依頼をしていない検討段階で問題化した)があり、「言論・思想・学問の自由」への重大な侵害であるとして、808名の賛同署名つきの抗議文が東京都に提出されました。その大多数は氏名のみならず、インターネット上でコメント(例えば、「民主主義のお作法を若い世代に伝えるべき大人が、言論を封鎖してどうするのでしょう」(魁生由美子)「学問研究の自由の侵害であり、危機です。許してはなりません」(戒能民江)等)まで公表しています。
 ところが、そのグループが核になって、私の反対署名を集めたようですが、東京都には氏名、勤務先、所属団体は届けるが、公表はしないことを条件にしました。上野千鶴子氏の講演中止事件に対しては「言論封鎖」するな、と訴える人々が、私の言論を匿名で封殺しようとするのは一体なぜなのでしょうか。大学と自宅へのいやがらせは、これまでに経験したことことのない不気味な内容です。
 一年半前にも「上田埼玉県知事による高橋史朗氏の教育委員任命を阻止するネットワーク」による「高橋史朗氏の埼玉県教育員任命に反対する声明」が1820名の賛同署名を集めて提出されましたが、それは私が「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長として同教科書の作成者の一人であったことを問題視したもので、「高橋氏の歴史観や教育観については、あえて問題にしません」という内容であり、賛同者の氏名も公表されていたため、敢えて反論しませんでした。今回は違います。私の「言論・思想・学問」の内容を真正面から取り上げ、「民主主義社会の否定者」と不当に批判しており、名誉毀損で刑事告訴する応援を申し出てくれた友人の弁護士もいます。
 東京都に問い合わせたところ、「東京都個人情情報の保護に関する条例」で、「本人の同意」がなけれが、氏名を公表できないということですので、東京都を通じて公開質問状を送付していただくことに致しました。なお、「呼びかけ人」の中に埼玉県男女共同参画審議会委員の戒能民江・お茶の水女子大学教授と橋本ヒロ子・十文字学園女子大学教授が含まれていましたので、現職の委員がこのような「呼びかけ人」となることの重大性に鑑み、 このお二人には私から直接「公開質問状」を配達証明付き郵便でお送り致しました。
 なお、6月16日の都知事の定例記者会見での産経新聞記者とのやりとりの要旨は以下の通りです。


<知事定例記者会見 要旨>

(産経新聞・石元)「男女共同参画審議会」に関して、一部の団体が委員の一人である明星大学の高橋史朗さんを不適切であるということで、東京都に反対の署名を提出した。これに対して、昨日、高橋教授も団体の抗議に対して、それに再反論するという記者会見を昨日行いました。知事自身は、この問題を認識されているでしょうか。

(知事)知っています。これはやはり、私もものの考え方はいろいろあるのは然るべきだと思うが、随分、行き過ぎというか、私から見れば、明らかに間違いだと思う逸脱したものの考え方の人たちはいる。それに強く反対する人が委員に入るということにかたっぽ側が反発してゴタゴタしている訳だが、聞くところ、その方のところに、高橋さんですか、のところに脅迫の電話がかかったり、嫌がらせの手紙が来たり、それはちょっとおかしいんじゃないですか?そういう審議会で開かれた場所で、子どもたちの大事な教育の、しかも性に関する指針をどう取るかかということの議論を侃々諤々やってもらうために諮問委員会を作っているわけだから、あの人物が好ましいとか好ましくないとか、日頃、外ででも色々論争があるかも知れないけれども、もっと公の決められた場所で、正面がっぷり四つで話をして欲しいんだけれども。あの人間は怪しからん。我々について強く反対しているから好ましくないという形で、それを阻害しようとして動きをとる、しかも当人の御宅に電話をかけたり脅迫したりするというのは、論外だね。隣の中国と違うのだから、開かれた言論、自由社会の中で、そんな馬鹿なことはしない方が良いと思いますな。


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
真面目なはなし。ちょっと勉強になりました。
確かに、ジェンダーフリーという言葉を誤って使っている人が多いかも・・・マザーテレサが言われた言葉にもグッとくるものがありました。言葉の本質を理解しようとしないで、モンクばかりつけてくる人はいっぱいいるものです。でも、「事実」ではなくて「解釈」というものを捉えていかなければ人間の考え方って変わらないと思います。
ニーチェ「事実なんて存在しない。ただ解釈のみが存在する」
ももか
2007/04/25 11:35

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